欲しいものが、欲しいね。

植草甚一さんほど尊敬すべき人物はいないなァ。まねてもなれる存在ではないよね。

人間的に突っ込んだ二冊のジャズ参考書

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植草甚一著「いつも夢中になったり飽きてしまったり」に「人間的に突っ込んだ二冊のジャズ参考書」というエッセイがあります。

先輩が「ジャズは聴いているときだけでなく聴いていないときでも考えるようにならなくちゃ駄目だ」といったのが、ながいあいだ頭にこびりついていた。

というのもこれが難問だったからで、とくべつな場合を除くと、たいていの演奏が、あとで煙のように消えてしまう。・・・

あれだけ博学の植草甚一翁も、自分のことをぼくなんか駄目だと言っているところが面白いエッセイ集です。スイングジャーナル誌に、アルトサックス奏者リー・コニッツについて書かなければならなくなり、評論を5編ほど読んで煮詰まってしまったらしいのです。

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コニッツは1965年チャーリー・パーカーの追悼コンサートで無伴奏ソロを吹いて評価された演奏家です。しかし当時は「忘れられたも同然の一流ミュージシャン」だったようです。*1

植草氏は、マイケル・ジェイムズの「十人のモダンジャズメン」を読んでジャズ評論は、音色を記憶することだけが評論家の仕事ではないことに気づきます。

ほかの評論家たちは、コニッツの音色の変化とテクニックの面ばかり追っていた。ところがマイケル・ジェイムズはもコニッツが非妥協的な芸術家だったために、生活面では恵まれず、そういった苦労がどう音色やテクニックの変化と関係していったかを突っ込んでいったのである。文章はかなりむずかしいが、コニッツというミュージシャンの姿が人間的に浮かび上がってくるのだった。

 このエッセイでは、もう一冊ロバート・ライズナー著「バード/チャーリー・パーカーの伝説」を取り上げています。この本はパーカーと親しかった生前の仲間80名の思い出をインタビューから再構成したもので、今で言うノンフィクションです。

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アート・ブレイキーやマイルス・ディビスなどそうそうたる面々が、同じ日の出来事を思い出したとき、話す人によってパーカーの印象がちぐはぐになり、そこからユーモアが出てきたり、悲しい気持ちになったりするが、どうやらパーカーは二重人格だったような結論がでてくる。だがその前に、みんながパーカーはとてもいい人間だったと言うし、いろんな要素が噛み合って、ジャズの天才だといわれた男の複雑な人間像が浮かび上がってくるのであった。

とどのつまり、私たち人間が興味を感じるのは、モノではなく人、演奏家の中に宿る魂のようなものとの共感のだなあ、植草氏の見方はイイ線いっていると感じた次第です。 

 


 


 

*1:現在は、60年代から20世紀後半を経て現在に至るまで、一貫して誰の真似でもない自前の音楽を追求してきた真のジャズ・インプロヴァイザーと再評価されています。